浜石岳
山行記録  [ back ]

フリガナ ハマイシダケ 
山域・山名 浜石岳 
日   時 2000年 2月11日(金) 
天   候  
行   程 由比駅(8:40-45) −三本松分岐(10:15)−三本松(10:30-40)−浜石岳(11:10-12:42)−三本松(13:05) (林道経由) 三本松分岐(13:27)−由比駅(14:40) 
所 在 地 静岡県清水市、庵原郡由比町 
2.5万図 蒲原 
緯   度 35.0701 
経   度 138.3212 
備   考  


 静岡の浜石岳に富士山を眺めに出掛けて行く
 いつも山に行く時は車なので目的地に着くまで展望を眺めている余裕が無いが、今回は電車で行ったのでのんびりと車窓から富士山を眺める事が出来た。

山頂で肉うどんを作るべく大きな
ザックに鍋釜一式を背負って
浜石岳を目指します。

 JR東海道線下り静岡行きに乗車すると、休日の為か空いていて、富士山を眺める為に進行方向右側の4人掛けシートの窓側に座る事が出来た。
 熱海を過ぎて丹那トンネルを抜け函南駅を出ると、左側に沼津アルプスが見えて来る。
 その先で今日最初の富士山が山の上に立つマンションらしき建物の向こうに頭の部分だけ見えてすぐに消えてしまい、トンネルに入り、トンネルを抜けてもしばらくは見えない。
 次のトンネルを抜け窓に顔をくっ付けて前を見るとほんの一瞬だけ見る事が出来た。
 この先2つのトンネルを抜けると宝永山が中央に位置する大きな富士山が現れる。
 今日は頭の上に小さな笠雲をかぶり、その上に長く伸びる雲が横たわっている。しばらく建物で見え隠れしながら三島駅に到着。
 三島駅を出て新幹線ホームが途切れると又富士山が現れて、今度は愛鷹山の右端に見えている。
 左側には沼津アルプス、天城山方面の山が見え、黄瀬川の橋を渡ると、顔を傾けないと見えないくらい富士山の姿は後方になってしまった。
 ちょうど愛鷹山の真ん中に見えてくると沼津駅に着き、私の乗った車両からはホームより駅前のビルの後ろに頭の部分だけが見えている。
 沼津を出ると今度は右斜め前方に見えて来て、建物で多少隠れはするものの片浜駅までずっと姿が見えている。

 片浜を出ると山頂付近に多少雲がかかっているだけとなり、原駅まで来ると宝永火口がほとんど愛鷹山の上に出るくらいに見えている。
 前方にはうっすらと長者ヶ岳方面が見え、富士山はいよいよその姿を大きくしていき、左側のすそ野が美しく伸びて、その先に富士市のシンボル煙突が煙を出している。
 東田子の浦駅ではほぼ完全にその姿を現し、右側のすそ野は下まで白くなっており、東田子の浦を出ると、前方に真っ白な南アルプスが見えるはずだが、今日はかすんでいて見えない。
 吉原駅では完全な富士山の姿が見えている。吉原駅を出て両側に大きくすそ野を広げた姿が見えて来る。その姿がいよいよ大きくなって来ると、左側に毛無山塊、中央に富士山、そして右側に愛鷹山が並んで見える。
 富士駅では私の車両からは富士山の姿は見えない。富士駅を出て姿を現すと多少体をひねらないと見えない位置になってしまい、富士川橋を渡る時に振り向くように眺めると今日一番の富士山が見えている。山頂付近の雲も取れて両側に長く伸びる稜線がとても美しい。
 富士川橋を渡ってしまうと完全に見えなくなってしまい、富士川駅、新蒲原駅、蒲原駅と何度も振り返って確認したが、どうしても見る事が出来ない。
 私の後ろに座って本を読んでいた人が、私が振り向く度に顔を上げてちょっと変な顔をしている。

浜石岳にて親子で記念撮影

 そんな事をしているうちに由比駅に到着した。電車を降りて、駅前の地図で道を確認して歩き始める。
 駅前の道路を横切って階段を上がり、旧の国道1号線に沿ってしばらく進んでいく。
 今日から吉原で毘沙門天大祭があり、帰りに連れて行ってやると言う言葉につられて息子も連れて来た。私と息子のザックを見て、中野さんに親子でミレーなのねと言われ、曽我さんも新しくサックを買ったのよと言われて見てみると、背中には真新しいミレーのザックが輝いている。これで又一人ミレー党が増え、やっぱザックはミレーでしょなどと話しながら歩いていると、浜石岳の標識が現れてそこを左折して、細い道へと入って行く。

 道路脇ではみかんの無人販売があり、1袋200円で試食用のみかんも置いてある。
 両側にみかん畑が広がる農道を歩いて行くと、大型のミキサー車がうなりを上げて上って来て、慌てて端に避けるのだか道幅一杯に通り過ぎて行くので危なくてしょうがない。おまけに排気ガスを撒き散らして行くので困ったものだ。
休日くらい休んでもらいたいものだ。

山頂から駿河湾を眺めたところ

 由比の町並が小さくなってくると、山と山の間に富士山が顔を出した。富士川橋でわかれて以来の再会だ。
 この先も何度かミキサー車に排気ガスをかけられながら登って行く。
 紅白の梅も咲いていてとても綺麗だ。見下ろせば由比の町並とその向こうには駿河湾が波も穏やかに輝いている。
 相変わらず舗装された道を進んで行くが、予想以上に勾配がきつい。途中で沼津のかもしか会のメンバーと言う人と中野さんと藤生さんが話しながら登っていく。
 今日中野さんはすこぶる調子が良さそうで息も切らずに話しながら歩いて行く。

 途中で三本松経由の標識が現れて林道歩きにもそろそろ飽きていたので、こちらの登山道を歩くことにした。
 木に覆われた暗い道は階段状になっており急である。この道を抜けたところが三本松である。

 ここで今日初めて本格的な休憩をとった。アスレチックの遊び場もあり、息子は早速遊びに行ってしまった。

今が満開の紅白梅

 ここからは林道を歩く事も無く山頂まで登山道を行く。途中でモグラの死骸を発見し、最後の登りを終えると広い山頂に出た。

 既に多くの人が休憩しており、目の前には大きな富士山が見えている。さえぎるものは何もなく、暖かいせいかスキッとした姿は望めないが、さすがに日本一だけあってその姿はすばらしい。
 昨日カシミールで印刷した360度の展望図を出して山座同定をしてみたが、南アルプスは雲の中で見る事が出来ず、生憎とかすんでしまって、箱根から天城山、竜爪山方面にかけても墨絵のように薄っすらとしか望めない。

 しばらく山並みを眺めた後、昼食の準備に取りかかる。今日も初日の出登山の時と同じくうどんである。
 前回は山菜のみだったが今回は肉も持参した。しかし中野さんも肉を持って来ており、大量の肉入りとなってしまった。
 ガスコンロを2個セットして鍋を載せ、大谷さんと藤生さんが持参したお湯を入れ、うどんのつゆを入れて山菜と肉を入れて蓋をして沸騰するまでしばらく待っている。量が多いので中々沸騰せず、ようやくいい匂いが漂いはじめると、一人のおばさんが近づいて来て、じっと鍋を見つめたまま動かない。仲間に呼ばれてようやく立ち去ったがよほどうどんが食べたかったのだろうか。

広々した山頂でうどんパーティー

 山の上で食べる出来立てのうどんは立ち上る湯気といい匂いといい格別である。行程に余裕があるので、荷物をいっぱい持って山頂でワイワイやりながら食事を作って食べる事が出きるあたりが低山ハイクの魅力である。

うどんを食べて山頂気分も満喫したし、後片付けを済ませて、そろそろ下山の為にもと来た道を引き返した。
 三本松まで来て、行きに登山道を来たので帰りは林道を行って見ようとまわり道をして青少年野外活動センターの中を歩く。キャンプ場があり、宿泊棟もあって、設備は充実しているようだ。
 広場に大きなパラボラアンテナが距離を隔てて向かい合わせに設置されていた。向こう側で中野さんが小声で話すとこちら側で大きな声となって聞こえるので不思議である。別に電源がある訳でもないのに糸電話の無線版と言ったところだろうか。
 林道に出てしばらく歩いて行くと、今朝から大型ミキサー車が上ったり下ったりしていた工事現場があった。

 トイレが設置されているところで休憩をとっていると、曽我さんと大谷さんが歩いて先に行ってしまう。
 中野さんと藤生さんがトイレを済ませて出て来た時には既に姿が見えなくなってしまった。
 4人で後から歩いて行くと、前の方で2人して何か採っている。中野さんがフキノトウを食べたいと言っていたので探して摘んでいたのだ。
 この後息子が俺もフキノトウを探すと言ってちょろちょろしていたが見つからず、だいぶ下って来たら採れそうなところがあったので少し採らせて中野さんの袋に入れさせてもらった。
 家に持ち帰って食べたいのではなく、ただ採ってみたかっただけらしい。

 早春の暖かな日差しの中をのんびり歩いて由比の駅までようやく戻って来たが、急な林道を下ったせいか何だかとても疲れてしまう。
 帰りは吉原駅で皆さんと別れ、2人で途中下車し、約束通り毘沙門天大祭に寄った。
 いつもは平日の昼間に来ていたのでそれほどの混雑もなかったが、今日は休日と言う事で大変な混雑である。

 お参りを済ませて息子がおみくじを引くと何と凶である。凶って良いの悪いのと聞くのでもうこれ以上悪いことは無いとごまかして、境内でおみくじを結ばせ、露天でチョコバナナ、クレープ、フライドポテトなどを買わされて、お母さんへのお土産に嵐のポスターを買い、毘沙門饅頭を買って、散財させられ、再び吉原から電車に乗って帰宅する。


[ back ]