月山・蔵王・安達太良山
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フリガナ ガッサン・ザオウ・アダタラヤマ 
山域・山名 月山(1984m)・蔵王(熊ノ岳)(1841m)・安達太良山(1700m) 
日   時 1998(平成10)年 7月17日(金)〜20日(月) 
天   候  
行   程 7月17日(金)−18日(土)
沼津IC(19:55) (東名) 横浜IC(20:47) (首都) 葛西 浦和JCT(22:17)(東北)蓮田PA(22:30-41) 安積PA(0:45-55) 郡山 白石蔵王(1:50) 村田JCT(2:00)(山形)古関PA(2:15-35)   寒河江IC(2:55)−鶴岡(4:10)−月山8合目(5:23)
 月山8合目(7:25)−山頂(10:45-11:22)−月山8合目(14:05)
 月山8合目(14:43)−国道112号合流(15:48)−寒河江IC(17:23)−山形蔵王IC(17:35)−西蔵王高原ライン(17:42)−国民宿舎「竜山荘」(18:05)
 7月19日(日)
国民宿舎「竜山荘」(8:45)−ロープウェイ乗場(8:50)−ロープウェイ山頂(9:30)−地蔵岳(9:45)−熊野岳(10:35)−イロハ沼(12:22)−ロープウェイ−駐車場(13:00)−昼食(13:05-30)−山形蔵王IC(14:00)−村田JCT(14:27)−二本松IC(15:17)−岳温泉 国民宿舎「寿泉荘」(15:30)       
7月20日(月)
国民宿舎「寿泉荘」(8:25)−ゴンドラ乗場(8:35)−ゴンドラ山頂(9:00)−安達太良山(10:20)−ゴンドラ山頂(11:35)−ゴンドラ下(11:45)−富士急ホテル(12:15-13:00)−昼食(13:20-55)−二本松IC(14:15) −佐野杉本A−浦和JCT(18:20)−ベイブリッジ−横浜IC(19:50)−沼津IC(20:50) 
所 在 地  
2.5万図  
緯   度  
経   度  
備   考  


 今年は花の開花がとても早い。各地で例年よりも2〜3週間は早まっているようだ。
 海の日の祝日が土日と繋がって連休となるのは今年が最後である。来年からはしばらく連休はやってこない。曽我さんと杉本さんには土曜日を休んでもらって東北地方へと出掛ける計画を立てた。東北の百名山3連発の超豪華版である。

月山の池糖

 九州・四国地方は早々と梅雨が明け、この調子だと関東から東北にかけても我々が出掛けていく頃には梅雨が明けるかと思われたが、そうは問屋が卸さない。連日雨や曇りの天気が続き、気温も低く肌寒い日が続いている。出発日を迎えたが遂に梅雨は明けなかった。

 7月19日(金)19時に全員集合と思いきや、藤生さんがいない。家に荷物はあるが姿が見えない。どうしちゃったんだろうと話していると、さっそうと自転車 にまたがって我々の前を駆け抜けていく。荷物を持って再び現れて全員集合。今回は大谷夫人も初参加。総勢6名で一路東北へ向かって出発進行。

 沼津インターの「豚平」で夕食を済ませ、沼津インターより東名高速に入る。横浜町田インターで降りて、首都高速湾岸線経由で葛西から中央環状線に入るところを間違えて通過してしまう。一旦インターを降りて再び湾岸線に入り、葛西から中央環状線経由で川口より東北自動車道へと入っていく。

 蓮田杉本Aで最初のトイレ休憩を済ませ、ここで杉本さんと運転を交代する。夜の東北ハイウェイを我がスペちゃん号は順調に走り続けていたが、杉本さんが突然、燃料ランプが点灯していると言う。慌てて次の杉本Aを探すとあと18Km、そこまで燃料切れになることは無いと思うが、こういう時の時間の経過は実に長く感じるものである。
 ようやく安積杉本Aに着いて燃料を入れると店員が東北なまりで話しかけてくる。
 文章で方言を書き表すのは困難だが、なんとなくイントネーションが違うのである。
 燃料を満タンにして再び出発。白石を過ぎたあたりから雨が降りだし、村田JCTから山形自動車道へと入り古関PAで寒河江から先の行程確認をする。

山の斜面に咲くニッコウキスゲその風に揺れる姿が美しい

 時刻は日付が変わって午前2時過ぎである。山形自動車道は寒河江までしか開通しておらず、今年の秋にこの先が開通する為、鶴岡まではここから山越えの一般道を走って行かなくてはならない。目的地の月山8合目までは、まだ200Km近くある計算だ。

 寒河江ICで降りて最初のコンビニ「ローソン」で朝食と昼食を買い込んで再び走り始める。この辺りまで来ると眠くてしょうがない。宵っ張りの杉本さんは元気そうなので運転をまかせて、助手席でボーとしながら深夜の国道112号線をスペちゃん号はエンジン音を響かせながら峠を越えて走り抜けていく。

 鶴岡まで来ると夜が明けた。正面に庄内平野の緑の絨毯が広がり、その向こうに朝焼けの鳥海山が見えている。天気はよさそうだ。月山の方を見ると山頂付近に雲がかかっている。
 大鳥居をくぐって羽黒山を通過する。今から300年以上昔、松尾芭蕉は「奥の細道」行脚の折り、この地に立ち寄っている。今は車でアッと言う間に通過してしまうが、当時はさぞや難儀なことだったに違いない。

ヨツバシオガマ

 曲がりくねった道を進んでいくと突き当たりが月山8合目、弥陀ヶ原である。レストハウスとトイレが設置されており、奥にある駐車場には大型バスを含めて、かなりの車が止まっている。
 時刻は5時30分、ここまで10時間30分、走行距離約700Km、日本列島を縦に走り、太平洋側から日本海側へと横切って1都8県を通過して、思えば遠くに来たものである。
 辺りは霧が立ちこめて風があり肌寒い。トイレに行って、朝食を食べて時間が早いのでしばらく仮眠をとる。

 強い日差しで目を覚ますと辺りはすっかり晴れていい天気になっている。時計を見ると7時を回っており、起きて出発準備にとりかかる。
 皆日焼け止めクリームを塗って入念に対策を講じている。杉本さんは顔中真っ白になるくらい塗りたくって「バカ殿様」状態である。
 大型バスもぞくぞくとやって来て、白装束に杖をついた信者の方々がぞくぞくと降りて頂上を目指して登っていく。月山は山岳信仰が今も盛んで羽黒山・月山・湯殿山を出羽三山といい月山がその最高峰である。  

 我々も白装束の人達の中に混じって登っていく。駐車場の脇からすでにニッコウキスゲが咲いており、花はかなり期待出来そうである。
 途中で高層湿原の池塘を見る為に寄り道をする。池塘の中を覗き込むとなにやら黒い物体がもぞもぞと動いている。よくみるとサンショウオウである。こんな池塘のなかにもサンショウウオが生息しているとは驚きである。
 緩やかな登山道を登りながら振り返ると出羽富士鳥海山がゆったりと横たわり、空を見上げると真っ青な夏空で、山肌を吹き抜ける風はニッコウキスゲを揺らし、白装束の人が付けている鐘が澄んだ音色を響かせている。
 湿気がないのかあまり汗もかかない。のどかでのんびりとしていていい山である。

ミヤマウスユキソウ

 いつもの年ならば夏まで残る大規模な雪田が見られるはずだが、今年はまったく見られない。
 山頂が近づいて来るとハクサンイチゲやハクサンフウロが群生して咲き乱れ、チングルマも咲いている。気の早いものは実を風になびかせて揺れている。
 曽我さんは相変わらずカメラ撮影に精を出し、大谷夫人も大した疲れも見せず、花を眺めながら元気よく山頂めざして歩いている。山頂手前の東側でウスユキソウを発見、しっかりとカメラにおさめ山頂に到着。

 山頂には月山神社が建っている。その神社の下を進んでいくと坊主頭に裸姿の一団が下の方でなにやら変な動きを見せている。よく見るとスピードスケートの練習のようだ。高所トレーニングの合宿でもしているのだろうか。
 植物保護のため両側にロープが張られている脇に腰を下ろし、コンビニで買ってきた昼食を食べていると、湯殿山の方から理路整然とならんで山吹色をした集団が次々に挨拶をしながら通り過ぎていく。自衛隊の隊員の方々である。中には女性も混じっており、長袖長ズボンに手袋、リックを背負い、腰にはおきまりの水筒を下げてぞくぞくと通り過ぎていく。景色を見たり花を愛でたりする余裕も全くみられずご苦労なことである。
 自衛隊の一団が通り過ぎた後、我々はしばらく昼寝をする。日差しは強いが風は相変わらずさわやかでとても気持ちがいい。
 あまりのんびりしていると宿に着くのが遅くなってしまうので、昼寝もそこそこに三角点のところで記念写真を撮って下山することにした。
 月山神社の中を通って行こうとすると、ここから先は500円出してお祓いを受けてからお進み下さいと言われ、引き返して神社の裏側から登り直して記念写真をとる。ここにもウスユキソウが咲いていたが、山頂手前の方が綺麗だった。

ハクサンフウロ

 登山道へと戻り下山しようとすると1人足りない。またしても藤生さんがいない。みんなで呼んだが返事がない。大声で叫ぶとようやくどこからともなく返事が返って来た。まだ三角点の所にいたようだ。
 もと来た道を引き返していると、洋服姿にサンダルを両手に持って裸足で歩いてくるおじさんを発見。どこにでもいるんですね、何を考えているんだか解らない人が・・・
 行きは湿原を左周りで登ったので今度は右周りで降ってくる。こちらの池塘にもサンショウウオが生息している。

 駐車場脇のレストハウスでソバを食べて、本日の宿泊地、蔵王温泉へ向けて月山を後にする。夜中に走った道を逆に戻り、山形自動車道を山形蔵王で降りて西蔵王高原ラインを経由して蔵王温泉へとやってくる。

 本日の宿泊地は国民宿舎「竜山荘」。リニューアルしたばかりでとても綺麗な宿である。
 部屋に入って早速風呂に入りに行く。我々以外には人がおらず、広々とした浴槽は木枠で出来ている。この温泉、古くは奥羽三高湯のひとつに数えられ、蔵王高湯と呼ばれていた。温泉は42−45度の強酸性で胃腸病やリュウマチ、神経痛などに効く。
 体を洗って風呂に入ろうと思ったが今日一日半ズボンをはいていたので、日に焼けて真っ赤になってしまって痛くてとても入れない。杉本さんが日焼け止めクリームを貸してくれるという忠告を無視して登ったのが悪かったがもはや後の祭り。しょうがなく浴槽の縁に足と手で踏ん張って、カエルがふんぞり返ったような格好で少しだけ体を温泉に浸してすぐに出て来てしまった。

 夕食も山菜の天ぷら、焼き肉、イワナと料金の割には豪勢である。ビールで乾杯して今日の山行の話などをしながらゆっくりと味う。
 夕食が終わってロビーに行くと杉本さんがカラオケルームがあると言う。予約をして缶ビールを持ち込んで2時間もカラオケ大会を開催してしまった。
 まったく前に日にろくに寝もしないで、山へ登って、あげくのはてにカラオケまで歌って、これだけのパワーで仕事をすれば大変なものだが、仕事でこんなことをしたら過労死するのが関の山である

月山山頂より

 山も登ったし、温泉も入ったし、カラオケも歌ったし明日も山へ登るのでそろそろ寝ることにしよう。

 2日目の朝、窓の外には夏空が広がっている。今日の山登りもいい天気に恵まれそうだ。
 朝食を食べて、もう手遅れかもしれないけれど日焼け止めクリームを塗って長ズボンをはいて出発する。
 杉本さんは相変わらず「バカ殿様」状態である。大谷夫人は少し筋肉痛のようだが、時間的な関係で今日と明日はロープウェイを利用した、比較的楽な行程なので大丈夫だろう。

 宿を出てすぐにロープウェイの乗り場がある。ロープウェイを2つ乗り継いで一気に高度を稼ぎ、山頂付近まで連れていってもらう。とっても有り難いような有り難くないような複雑な気分である。

 ロープウェイを降りて少し登ると地蔵岳山頂である。遠くに山並みが見えているが山座同定は出来ない。
 ゆるやかな稜線を歩いていくとトンボが舞っている。山は夏と秋が同居しているらしい。
 昨日と同じく吹き抜ける風はさわやかで気持ちがいい。立ち止まっていると寒いくらいである。
 熊ノ岳直下で道は二手に分かれ、私と杉本さん、大谷夫妻はだらだらとした回り道を、曽我さんと藤生さんは岩場の近道をそれぞれ歩いていく。
 山頂付近にはコマクサがいっぱい咲いている。ちょっと時期的には遅いようだがまだまだ見応え十分である。
 蔵王には特定のピークがない。熊野岳は蔵王連峰の最高峰で、刈田岳と共に蔵王のシンボルお釜の外輪山である。

 熊ノ岳まで行くと、もうとっくに着いているはずの2人の姿が見あたらない。いくら探してもいない。いったいどこへ行ってしまったのだろう。
 ここからお釜まで道は二手に分かれている。杉本さんが尾根上を我々は斜めにお釜に向かって2人を探しながら歩いていく。
 お釜はテレビや写真で見るようにエメラルドグリーンに輝く水をたたえていた。何枚か写真を撮っていると、杉本さんが2人を発見してやってくる。どうやら2人してさっさっとお釜にやって来てしまったらしい。

 6人揃ったところで元来た道を途中まで引き返してイロハ沼の方へと降っていく。
 途中で休憩している時に、大谷さんがギンリュウソウを発見。早速曽我さんがカメラにおさめる。上から1人で降って来る人に藤生さんがギンリュウソウがあることを教えてあげると、その人は「この下にいっぱい咲いていますよ」と逆に教えられてしまった。折角大谷さんが大発見をしたのに台無しである。でも一番に発見したのはやはりお手柄ですよ。
 イロハ沼までギンリュウソウを探しながら歩いてくる。ゴゼンタチバナも可愛らしい花を咲かせていた。

蔵王熊ノ岳にて

 沼にも色々と咲いていたが一通り見ながら通過する。観松平を通過するとリフトが動いている。このリフトに乗って最初のロープウェイ乗り場からロープウェイに乗って駐車場へと戻ってくる。

 駐車場の前にそば屋があり、そこでざるそばを食べて岳温泉に向かって出発する。山形自動車道から東北自動車道へと入り、二本松で降りて岳温泉国民宿舎「寿泉荘」へ到着。
 この岳温泉「ニコニコ共和国」と名付けたユニークな取り組みを行っている。
 時間的に早く着いたので部屋に入ってゆっくりしていたが、足がヒリヒリするので隣のコンビニへと薬を買いに出掛ける。
 部屋に戻って今日は満館のようなので空いている内に風呂に入りに出掛ける。
 ここの温泉は安達太良山にある、くろがね小屋の上に原泉があり、泉質は酸性緑ばん泉である。今日も昨日に引き続きカエルがふんぞり返ったような格好で少し温泉に浸かってさっさっと出て来てしまう。

 ここの宿はかなりの年数が建っているのか、私が歩くとバタバタとものすごい音が発生する。足が痛いのでお構いなしにバタバタ音をたてながら部屋に戻って、買ってきた薬をつけるとひんやりとして気持ちがいい。

 夕食の方はまあこんなものでしょう。ビールと日本酒を飲んでいよいよ本日のメインイベント温泉卓球の開催である。
 卓球室にビールを持ち込んで白熱したバトルが展開されたのである。大谷夫人は浴衣から着替えての参加である。みんなでワイワイガヤガヤやっていたら宿の主人に静かにするように注意されてしまった。

 皆汗をかいたのでもう一風呂浴びて部屋に帰って就寝と思いきや、杉本さんだけはいつまでもテレビを見ている。まったく宵っ張りな人である。大谷さんは浴衣を上半身をまくりあげてぴくりともしない。今回はお目付役同伴なので調子がいま一つのようだ。

 3日目の朝はどんより曇った空模様。宿を出て安達太良山のロープウェイ乗り場までやってくるとどうも雲行きがあやしい。ロープウェイで山頂駅までいくと遂に雨が降っている。今日は杉本さんの「バカ殿様」も出る幕無しである。
 高村光太郎の詩集「智恵子抄」に詠まれた、たおやかな山容も見ることが出来ない。

 全員カッパに着替えて、両側から枝が覆い被さる登山道をぼちぼちと歩いて行く。
 昨年この山で火山性ガスによる死亡事故が発生した為、注意を呼びかける大きな看板が設置されている。新しい標識もあちらこちらに立てられている。
 登山道のすぐ脇にはシャクナゲが群生し、中にはいまだに綺麗に咲いている花もある。
 少し上に登るともう生い茂るような木は生えておらず火山の山といった様相を呈してくる。雨はそれほど降ってはいないが、相変わらず霧は晴れない。

蔵王のお釜

 コメツツジがかわいらしい小さな花を沢山つけており、もちろん曽我さんはカメラでパチリとしっかり写真に撮っている。
 昨日くろがね小屋へ泊まったという人が降りてきたので小屋の状況を聞いてみたら身動きがとれない状態だったと、こちらの予想通りの返事が帰ってきた。
 景色の見えない中を登っていくとひょっこりと山頂に到着。記念写真を撮って少し降った所で休憩。

 ジュースを飲んで降り始めるとなんと天気は急速に回復してきて、山頂付近が見えている。
 なおも降ると晴れ間がのぞいてくる。下から海水浴にでも行くような格好をしたサンダル履きの若者が登ってくる。ここでも勘違い男に出会ってしまった。
 月山といい全く何を考えているのか訳が分からない。
 ロープウェイ駅まで来ると完全に晴れてしまった。もう少し早く天気が回復してくれればなぁと実に残念である。

 ロープウェイで降りて来て、すぐ目の前にある富士急ホテルで入浴をする。ここも空いていて露天風呂もある。温泉は単純泉で加熱している。
 日焼けして3日目にしてはじめて全身をゆっくりと温泉につけることが出来た。今日も入れなかったら温泉三昧の山旅は台無しになるところであった。
 ロビーには皇太子殿下夫妻が訪れた時の写真がパネルで展示してあり、やはりこの辺りもスキーシーズンに賑わいをみせるところであるようだ。

コマクサ

 岳温泉まで戻って燃料を入れて近くで食事出来る所を聞き、そこで昼食を済ませて、一路二本松インターから東北自動車道を南下してくる。やはり宇都宮の辺りで渋滞にぶつかり、川口でもう一度渋滞にはまりながら、なんとか首都高速へと入る。

 今日は横浜の港みらい21で海の日イベントの花火大会があるとラジオで言っている。 ちょうどベイブリッジにさしかかるころ、横浜の夏の夜空に綺麗に上がった花火を見ながら湾岸線を通過して東名へと入り、海老名の辺りで事故による渋滞にチョコットはまって沼津インターへと到着。

 さて、花あり、温泉ありの東北の山旅はいかがでしたか?やはりのんびりとした東北の山は一味違った趣があったと思います。
 それぞれの人がそれぞれの思い出を心に刻み込んで・・・・
 これにて山紀行「奥の細道珍道中」はおしまいでござる。それでは また


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