乗鞍岳
山行記録  [ back ]

フリガナ  ノリクラダケ
山域・山名  乗鞍岳  3026m
日   時  1995年8月26日(土)−27日(日) 
天   候  
行   程  畳平(8:05) − 肩の小屋(8:40-9:10) − 剣ガ峰(9:45-10:25) − 肩の小屋(11:05-12:00) − 畳平(12:20)
所 在 地  長野県・岐阜県  南安曇郡安曇村、大野郡高根村、大野郡丹生川村
2.5万図  乗鞍岳
緯   度  36.0612
経   度  137.3324
備   考  


8月26日土曜日

 当初丹沢へ行く予定で皆様に声をかけていたのだが、この時期大倉尾根は連日の猛暑で暑いだろうし、花もあまり期待出来ないので1人で行くかどうか迷っていたところ、テレビ東京で「上高地、乗鞍高原」の放送をみて、お花畑あり雪渓ありで大変良さそうなので今回は乗鞍岳へ行くことになった。(テレビ東京の収録時期は8月5・6日であった)

畳平

 前回の八ケ岳登山のときにスペクトロン号のラジエターの調子がいまいちだったので午前中整備をかねて点検に出す。
 無事点検整備を終えたスペクトロン号はエンジン音も軽やかに皆の待つ集合場所へと向かう。

 8月最後の週末とあって御殿場ICを降りたところから渋滞にはまって動かない。246号線を越えたところからすいていそうなのでそのまま進むとカープのところから渋滞。
 しかたなく方向変換をして裏道へと逃げることに。途中まで快調にきたが本線へ合流する信号機でまたまた渋滞。まぁ、夏休み最後の土日と自衛隊の実弾演習、おまけに吉田の火祭りが重なってはどうしょうもない。
 ようやく須走ICへ乗ったのは予定より50分遅れ。このあとは道路も順調に松本ICまでやってくる。

 松本ICを降りて、明日の朝食を買うためにローソンに寄った。
 本来なら旅館で朝食を取るところなのだが、金曜日に安曇村役場に電話して、現地の状況を確認したところ、日曜日はマウンテンサイクリングの大会があるため、休暇村の前の道は土曜日の夜から日曜日の昼12時30分まで通行止めのため通れないとのこと。
 この道路が通れれば通常国民休暇村から35分位で畳平までいけるのだが通れないとなると、岐阜県側をぐるっと回らなければならず旅館で朝食を食べていられないかもしれないからだ。
 ローソンにはこの時間おにぎり類はなく、しかたがないのでカップラーメンと菓子パンを購入する。

 明日の朝食の心配もなくなり、安心して山奥へと向かった。途中トンネンの中を右に進むと乗鞍・上高地だが、我々の宿は奈川温泉なのでそのまま直進する。旅館からFAXしてもらった地図をたよりに奈川温泉まできたが、なかなか野麦荘がみつからない。途中畑に水やりをしているおじさんがいたので尋ねてみるとこの先だという。奈川温泉でも一番はずれに野麦荘は建っていた。

 想像していたよりも立派な建物に感心しつつ荷物を持って早速中へ入っていく。(戻ってきて本屋で信州の本をめくっていたらなんと写真入りで紹介されていた!)
 宿の主人に明日、朝早く出発したいので朝食におにぎりを用意してもらいたい旨お願いすると快く承知してくれた。
 途中渋滞にまきこまれて大幅に到着時間が遅れてしまったため、食事時間が過ぎており、すぐに食事にしてもらいたいとのことで風呂は後回しにし、夕食へと向かう。

料理の方は魚中心で鯉料理が出てきたあたりはあまりいただけない。この鯉は小骨が多くとても食べにくい。まぁあまり贅沢はいえないが。パンフレットにはきのこ鍋など載っているところをみると秋から冬にかけては少しは期待出来るのかもしれない。

 そそくさと夕食をすませて部屋で少し休んで風呂へ出掛ける。ここの風呂は本物の温泉なので24時間入浴可能とのこと。浴槽が赤みを帯びているところを見ると鉱泉かもしれないが、詳しいことは聞くのを忘れてしまった。
 風呂から上がってテレビをみながら曽我さんがクーラーボックスに入れて用意してきてくれた缶ビールを飲み明日早いので就寝。

8月27日日曜日

 朝4時30分に起床。身支度を整える。(朝風呂に浸かって来たひともいる)とりあえず昨日ローソンで買ってきたカップラーメンを朝食代わりに素早く食べて出発することにする。朝早くから宿のご主人と奥様がお見送りをしてくれた。

 上高地乗鞍スーパー林道を畳平に向けて進んでいくとまもなく料金所が見える。朝早いのでまだやっておらずそのまま通り過ぎる。
 途中右前方に乗鞍岳が姿を現す。途中にある掲示板には朝7時から通行止めと書いてあるのでもしや通れるのではないかと期待をして国民休暇村へ向かって走っていく。
 しかし休暇村の前で交通整理員に止められて、この先通行止めでいかれないと言われてしまった。うーんここからこの道を通れれば30分位で畳平までいかれるものを。(しかしこの道は普段も夜7時から朝8時までは通行止めのようである)
 しかたなく戻って白骨温泉の前を通ってぐるっと回って畳平へ向かう。

 畳平手前の料金所のところに畳平渋滞1Kmの表示があり、料金所の人に聞いたところ、ご来光を見にくる人で混雑するという。だがその人たちも帰ったので入れ替えで混んでいるくらいだろうとのこと。
 料金所をすぎ途中にある標高を示す看板が高くなるにつれ霧がふかくなり、あたりはハイマツへと姿を変え、道路が通っているとはいえ、車を運転していて不思議な感じになってくる。
 霧と風が強く、時間が早いせいか比較的スムーズに畳平の駐車場に入ることができた。

 標高2700mのところにある畳平は気温も低く、出発前に長袖に着替える程だ。
 標高2700mといえは゛、日本の山の中でも97番目の高さに自家用車で登ってこられてしまうのはなんか複雑な思いがする。

 トイレに寄って乗鞍岳に向けて出発。畳平周辺のお花畑はもう終わってしまっていて花はあまり咲いていない。肩の小屋までは車も通れる道をだらだらと歩くのみである。
 富士見岳の裾をまくように通り過ぎると雪渓とともに不消ガ池が姿を現す。この先で突然強風がふき、曽我さんが帽子を飛ばされてしまう。帽子はあっというまに斜面をかけ登りはるはかなたへと姿をけしてしまう。

 コロナ観測所の前までくると一段と風がつよい。霧も湧いては消える状態をくりかえしている。かなりゆっくりしたペースで肩の小屋へ到着。
 時間的に余裕があるので中で休憩していくことにする。各自ここでヤッケやカッパに着替えて、今回不参加の杉本隊長に公衆電話から電話をいれる。

 休憩の後、こまかい石や大きい石がゴロゴロして富士山を思わせるような登山道をひたすら登る。
 朝日岳の鞍部付近は風の通り道になっているのか、猛烈な風でたっていると飛ばされてしまいそうだ。
 息も出来ないくらいに強烈で小石を巻き上げて顔に当たるのでピチピチと痛い。ここを過ぎれば風もそんなに強くはなく、ほどなく剣が峰に到着。

 山頂には祠が二つ背中合わせにたっていて風がふいていてすこし寒い。
 頂上からの眺めはさかずに3000m級の山だけあってたいしたものだ。御岳山はとても間近に大きく見ることができる。穂高連峰も部分的に雲がかかっていたが休憩しているうちに雲がとれて大部分が姿を現す。さすがに槍ケ岳までは見ることができなかったがなかなかすばらしい展望だ。
 下に見える道路ではマウンテンサイクリングの大会が開かれており、かなりの数の自転車が上ったり下ったりしている。

 景色を満喫して下山にかかる。頂上小屋でおみやげに売っている温度計をみたら10度しかなかった。どうりで寒くて耳が痛いわけだ。
 途中大勢の人に担がれて登ってくる集団がある。身障者登山のボランティアか。そのあとから足の不自由なひとが付き添われて一生懸命自分の力で登ってくる。
あの姿をみると我々もまだまだ努力がたりないのではないかと考えさせられてしまう。
 この山は3000mを超えているとはいえ、2700mまで車で来られるので頂上まで往復3時間程度と時間的にはたいしたことがないのか、普段着にハンドバックを下げて、靴と言えばパンプスみたいなものを履いた女性や、半袖でさむいのか、タオルケットをまいて登ってくる人がいるなど、とても登山者とは思えぬ恰好をしているひとがかなり多い。

 肩の小屋に戻って山菜うどんを食べてしばらく休憩。その間にあたりはみるみるうちに霧につつまれてなにも見えない状況になってしまった。
 我々はちょうど運よく頂上から景色が展望出来たが、今からではたぶん何も見えないのではないか。朝早く起きてわざわざ遠回りをして来た努力を神様が認めてくれたに違いない。

 霧で何も見えない中、肩の小屋を出発。雨も降っていないのに、髪の毛が濡れてびっしょりになっているのに曽我さんが気がつく。たぶん霧で濡れてしまったのだろう。

 駐車場に戻ってくると、これから駐車をしようとかなりの数の自動車が列を作って渋滞中。標高2700mまで自動車でこられるのだからこの人気にもうなずける気がする。
 晴れていればかなりすばらしい展望が望めるのだろうけれど今日来た観光客の人達にはちょっと残念な気がしてならない。
 身支度をととのえて、今朝通行止めになっていた道路を下って、帰路につく。
 途中渋滞にまきこまれて時間的に若干遅くはなったがほぼ順調に家路につくことができた。

 乗鞍は登ると言うより住むと言ったほうが似つかわしい山である。バス道路くらいで通俗化するようなチッポケなマッスではない。と深田久弥の「百名山」にもあるように、3000m級の山の醍醐味をあじわえると同時に、この周辺には森林や高原がかなり多くあり、また別の楽しみ方も数多く出来るのではないか。またいつの日か自然観察会をかねてゆっくり訪れてみたいそんな山であった。 


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